還暦頑固親父の足跡願いは叶う 還暦で叶えた事 長文です! パート1

最終更新日2018/11/02
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還暦頑固親父の足跡
願いは叶う  還暦で叶えた事 長文です!

幼いころから動くものが好きでした。
小学校高学年の時にはUコンにはまり、エンジン付きのヒコーキをワイヤーで飛ばしていました。中学生に成るころにはバイクとラジコンボートですね   琵琶湖横断10キロレースに一度だけ出ました(笑)
実家は食堂を営んでおり当時 カブの後ろに出前の配達機を付けて 親父が走っていました。そんな時代ですので今なら言えますが 中学生の頃にはカブで配達のお手伝いをしていました(笑)
そして16歳になると直ぐに運転免許を取得して 高校には内緒でバイク通学していました。
そして高校三年生になって自動車免許を取得して 今度は自動車通学していましたね(笑)
バイクでも車でも とにかくスピードを出して走るのが大好きでした。 競争族?暴走族?でしたかね(笑)
そんな高校時代をすごしていました。
家が商売をしているので
18歳から20歳ぐらいまでは色々な事をしました。そして21歳の時に自分で  4坪の 喫茶店クレヨンをスタートしました。
そんな時に悪友がVW914を 当時ローンも無い時代に銀行でマルセン手形を作ってもらい乗ってきました。それまで国産車サニーB10を18日間で横転  全損 。ハコスカなどを乗り、ポルシェなど頭の片隅にもない時代。
914を見たときには あまりのデザインに驚き 銀行に行き(笑)   私もマルセン手形で買ったのが写真のVWポルシェ914との初出会い。
しかし壊れまくり(笑)
修理代金が払えなく売りましたね。
4坪のお店から結婚を機に  、店舗付き住宅の「クレヨンハウス」をローンで建て、昼は喫茶 そして夜はパブ の 朝8時から深夜まで働きました。
そんな時にでも Zにターボを付けて走ったり ホンダのS600をレストアして写真の初イベントに行ったりしていましたね(笑)
初めてサーキットに行ったのが 510を当時仲間と買って中山 サーキットに行きました。当時はドライバーではなくお手伝いでしたが(笑)
周りには車関係の人が居られて中古車を紹介販売したりしていました。でも常に車のローンに追われながらの生活でしたね(笑)
そんなときに  クレヨンハウスの常連さんでご近所の方が(車屋さん勤務の方)独立するから手伝わないか と声をかけてくれて 二足の草鞋を履くことにしました。
昼間の喫茶店を閉めて車屋さんを手伝い 夜はパブクレヨンハウスを営んでいました。
そして車屋さんで二年間働いている間にポルシェ911が欲しくて欲しくて仕方なくなり 同じ形の912を買いました。でも買って直ぐにエンジンが壊れて修理!さすがに修理代のローンと912のローンが払えなくなりまたまた914と同じで直ぐに手放すことに成りました。
そんな二足の草鞋を履いていましたが 2年で一旦 車屋さんを辞めて、昼夜クレヨンハウスを営みながら中古車屋さんでの経験をいかして クレヨンハウスのお客さんから車の話があれば以前勤めていたお店に探してもらい 販売のお手伝いを二年ほど続けていた時に、クレヨンハウスの前のテナントが引っ越しされているのを見まして  その瞬間 テナントの大家さんに、貸してください  と言ってガレージクレヨンをスタートしました。
その時には道路で普通にオイル交換をしていたのがグランプリーホワイトの930の写真の3.2カレラでした(笑)
道路を挟んで車屋さんと飲食店を数年していました。そしてさすがに オイル交換などを道路に段ボールを敷いて行っていたので(笑)、


パート2続く

パート2